どう感じるかは人それぞれかなー。

文科省調査で判明…
”英語達者”教師で生徒が伸びないワケ

 

これを自分の正当化に使う

先生がいたとしても

不思議ではありません。

 

個人的には、

教える立場にあるものは、

生徒の力の引き出し方はもちろん、

自己の能力の向上にも

力を注ぐものだと思っています。

 

 

 

【教える】のが目的なら、

自分の能力以上のことを、

知らないことを教えられるのか

はなはだ疑問ですし、

 

【引き出す】のが目的ならば、

自分から引き出せないものを

他人から引き出せるのか疑問です。


でも、私が気になったのは、

この記事に乗っかって、

先生たちが

「自分を正当化したくなる」

「自分を守りたくなる」理由の方。

守りたくなるのは、

攻撃されているからだよね。

 

 

他を攻撃することで、

何とか自分を守ろうとしている。

 

 

 

 

 


教育の始まりは、

「この人の下で学びたい!」と

集まった弟子に学びをシェアした

ことからだそうです。

 

「この人の下で学びたい!」

という思いの者に教えていたから

 

「嫌われるかもしれない」

「ついてこないかもしれない」

という不安はなかったわけなのです。

 

先生にも生徒を選ぶ権利が、

そして生徒も先生を選ぶ権利が

あったのですね。

 

 

 

現代の学校教育は、違います。

 

先生たちには、

「学びに来る人が、

選んでくれるひとが、

いないかもしれない。」という

不安定さはなくなりました。

が、

選んで学んでくれる人が

いなくなったことで、

師弟関係で大切な【信頼】が

先生の方でも生徒の方でも

とても不安定なものになりました。

 

【信頼】というのは、

信じて任せることです。

 

「信じる」機会もないままで

流れていく現代の学校教育。

生徒だけでなく先生にとっても

不安なものなのでしょう。